遠見番所跡(とおみばんしょあと)

更新日:2024年04月17日

公開日:2023年02月20日

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 寛永の天草の乱の後、幕府は鎖国令を発しました。黒田藩は異国船を監視する遠見番所を姫島、大島、玄海、岩屋、相島の5カ所に設置しました。
 相島番所は玄海灘を望む高地、海抜70メートルの上に位置し、定番2人、足軽3人を置き、毎日交代で監視させました。沖に異国船を発見したらどこの船かを見分けて、福岡藩に早船を仕立てて注進するように定めていました。
 現在は、物見櫓が建っていた石垣が残り、わずかに当時をしのばせています。

様々な大きさ、形の石が積み上げられた遠見番所跡の石垣の写真

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