町名「新宮」は昭和30年(1955年)の町村合併で新宮町と立花村が合併したときに付けられた名前である。その前の旧新宮村(町)の名前は明治22年(1889年)当時の新宮浦・上府村・下府村・湊村・相島村が合併したときに、一番大きな村である新宮の名前をとって村名とした。

新宮の由来

 江戸時代の三大地理誌の一つ、「筑前国続風土記」に『本朝無題詩集』の釈蓮禅と藤原周光の「舟に乗って新宮湊に到る」という題の詩が引用されている。この『本朝無題詩集』は986年から1140年ごろまでの間の詩を選録したものと言われている。
 この藤原周光の詩の中に「伝え聞くところによると住吉霊社を此地に移し、新宮と号す。故にこの地名を新宮と言う」と書かれている。
 貝原益軒は元禄16年(1703年)に完成させ藩主に献上した「筑前国続風土記」に住吉の神を勧請して磯崎神社としたとし、「新宮」の由来もそこにあると主張している。さらに、湊から漁人が新宮に移ったとき一緒に磯崎神社が新宮に移ったいきさつが記されている。
 「筑前国続風土記附録」の修補編として「同拾遺」の編集を行った青柳種信は上府・下府の氏神である新宮神社に住吉神社を勧請したと主張している。
 磯崎神社文書に「新宮浦由来書上帳」がある。その中に、新宮浦と改名したのは次のような理由があるからであると出ている。
「その昔紀州熊野新宮浦より速玉(はやたま)の御神を此地に来臨したまい、漁人網に引き上げ、新宮大明神と請し奉、唯今下府・上府両村之氏神と尊敬仕候、故湊浦を新宮浦と改号し、岡・浦と分り候由申伝候」。
 これからみると、上府・下府両村の氏神新宮神社に熊野の神を勧請したことから「新宮」の名がおこったことになる。
 なお、貞享(じょうきょう)2年(1685年)新宮区が湊の古屋敷から現在地に移転したとき、磯崎神社も湊の磯崎鼻から新宮区の東の方に移った。このときの棟札が現在も同社の絵馬堂に飾られている。それには
「筑前国糟屋郡神宮浦磯崎大明神社一宇」
と書かれており、あるいはその当時までは「新宮」ではなく、「神宮」と読んでいたのを、移転を転記として「新宮」と改名したのだろうか。
 「新宮」という名前を調べてみると、関係した神社は新宮神社、磯崎神社。勧請した神は住吉の神、熊野の神といろいろだが、不明な点が多い。

[新宮町誌 第2章社会条件 第1節 「新宮」の由来より抜粋]