寛永の天草の乱の後、幕府は鎖国令を発しました。黒田藩は異国船を監視する遠見番所を姫島、大島、玄海、岩屋、相島の5カ所に設置しました。
 相島番所は玄海灘を望む高地、海抜70メートルの上に位置し、定番2人、足軽3人を置き、毎日交代で監視させました。沖に異国船を発見したらどこの船かを見分けて、福岡藩に早船を仕立てて注進するように定めていました。
 現在は、物見櫓が建っていた石垣が残り、わずかに当時をしのばせています。

遠見番所跡の写真